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「新自由主義経済から自由主義経済への回帰は、経済危機からぼくらを救えるか?<下>「メルトダウン 金融溶解:トーマス・ウッズ著、副島隆彦訳」を読んで

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 多くの市場経済に関する理論で共通して見られる傾向は、「需要(消費)」や「供給(生産)」を、数値化したり、それらを関連づけて結論を得るが、「消費」や「生産」はあくまで数値であり、それを行う者が人間であることを考えていないように思える。

 すなわち、例えば、食料の「生産」が極端に少なくなって、人間の「消費」を賄いきれなくなれば、人間は死んでしまうから、そのあとで、人間が「生産」できる量は大幅に減少する。

 しかし、経済学者は人間を死ぬことがない数値としか捉えないから、その後で、極端に減少した生産量や消費量が分かるまで、全く当てはまらない以前と同じ「生産」と「消費」の関係を用いて、市場の予測をすることになる。当然、これでは人間が死んでしまった直後の市場を予測できない。

 また、例えば、子どもや引退した高齢者や障害者は生産をしないが「消費」はする。予測した生産量が過大な要求であったとき、労働者が酷使されてあげく負傷して、予定どおり生産できなくなることもある。

 オーストリア学派の経済学にしても、これら「生産」をしないひとは数値上「0」としかみなさないし、人間の労働能力に個人差があるにもかかわらず、ひとりあたりの生産量が同じに見積もって生産を実行すれば、無理な目標を与えられた労働者は目標を達成できないばかりか負傷して、今までの生産能力も大きく損なうことになる。
 
 つまり、経済理論では、生産や消費を人間でなく単純に数値として考えてしまうが、その数値はあくまで人間に関係するから、その理論が人間の限界を超えてしまう場合には成立しないのだ。人間本位の持続可能な経済理論でなければならない。

 ・・・

 ニューズウイーク日本版(9/9)号の読者投稿欄(P.76)では、そんな資本(自由)主義経済の限界について、「国富論」でアダム・スミスが言及し、社会がそれを助けるべきだと述べていると、言っている。

 この記事のように資本主義について読者を啓蒙する意図で書かれているにもかかわらず、真の「資本主義宣言」であるアダム・スミスの「国富論」にまるで触れていない文章に出合うと、私は驚きを禁じ得ない。スミスは個人による利益の追求と、行き過ぎた強欲をはっきり区別していた。強欲は資本主義にとって脅威であり、資本家たち自身から最も大きな危険は生まれると考えていた。

 彼はこう説いている。富と相関関係にあるのは個人ではなく社会であって、社会は一定の環境を維持するために資金(累進課税による税金)を必要としている。そして教育や公共施設はその重要性から、自由市場に任せることはできないのだと。

 だがアメリカやイギリスで目にする資本主義関連の記述の多くは、スミスの考えと懸け離れている。強欲は善であり、税や規制は資本主義を損なうもので、自由市場がすべてを解決すると説いている。Steven Telleen(カリフォルニア州)


 ・・・

 市場原理主義も強欲になり過ぎて、社会を破壊し、それを成り立たせる基盤を危うくしてしまった。今、やるべきは政府や民間、個人が投資して、社会資本の整備や損なわれてきた労働環境、教育、医療、年金などを復活させ、公共施設の有効利用を図り、社会が傷んだ個人を守ることだ。

 そして、行き過ぎないような市場ルールを決め、健全に修正された市場原理主義に基づく自由市場を再び確立し活用することだと思う。

   < 完 >

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後記:

 ウッズの本をななめ読みした後、たまたまニューズウイーク日本版の読者欄を読んで、はたとひらめいてから、これを書いてみたいと思ったのは、国会議員選挙の選挙期間中だた。

 最初は一気に書き下ろそうと意気込んでいたものの、長い時間考えることができない状態が続いて、実現できないでいた。

 そんな日々、少しずつ分けて書いたらできるかも、と思いつき、なんとか書き下ろすことができた。

 3日間つきあってくれた読者に感謝します。
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(2009/07/31)
トーマス・ウッズ

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「新自由主義経済から自由主義経済への回帰は、経済危機からぼくらを救えるか?<中>「「メルトダウン 金融溶解:トーマス・ウッズ著、副島隆彦訳」を読んで

  < 前から読む >

 オーストリア学派と呼ばれる自由主義経済を信奉する経済学者たちが、新自由主義を唱える経済学者と基本的に異なる考え方は、なにか。

 それは、新自由主義者たちが「消費」による経済成長を重んじるのに対し、オーストリア学派たちは「生産」こそが経済成長の礎(いしずえ)と主張する点だ。

 ・・・

 「メルトダウン 金融溶解」(成甲書房)の中で、トーマス・ウッズは例をあげ、農民は彼らが消費する以上の作物を多く生産すれば、その作物で靴屋から靴を手に入れることができるし、農具を手に入れてより多くの作物を生産することができる。そうすれば暮らしはより豊かになるし、作物の生産性は向上する。

 つまり、農民は消費する以上に生産し、余った作物からより生産性を向上する道具を手に入れるので、更に生産量を増やすことができる。

 しかし、兵士は消費するだけで何も生産しないから、生産を費やすことしかできない。

 この例から、「生産を消費するだけ」では経済の成長は望めないとし、生産物から得られた糧をを「生産性を向上するための消費」に費やすことが重要と説いた。「消費」よりも「生産」を重視する点が新自由主義の思想と決定的に異なる。

 ・・・

 また、ウッズによれば、「生産」は「消費」のニーズによって行われるから無駄になることがないという。生産者は何が売れているか調べるし、どんなものを作ったらが売れそうか考える。

 ある生産者は時として売れないものを作って失敗してしまうことがあるが、総じて生産者は売れるものしか作らないはずだという。

 しかし、そのような市場に政府が介入して意図的に消費させようとした米国の住宅取得促進政策によって、市場の「生産」の考え方が大きく狂ってしまったという。

 ・・・

 米国の住宅バブルは、政府の介入による住宅取得促進政策によって、過剰な住宅の生産を促し、建設に必要な資材の高騰による住宅価格の高騰を招き、さらに、住宅の高騰を当てにした住宅取得による更なる住宅価格の高騰となり、「生産」によって得られたお金が無駄に「消費」されたという。

 この時期、米国の生産は住宅建設に集中し、他の分野での「生産」や「生産性向上」にまわらなかったという。

 つまり、生産物によって得られたカネが、政府の介入によって住宅に必要以上に消費され、その期間の間「生産のための消費」が止まってしまったことが問題だったという。

 ・・・

 結果とした言えることは、新自由主義者の考えに基づいて、政府の介入によって、一定の間、住宅に消費を喚起することに成功したが、住宅価格の高騰を招き、他の消費(特に生産のための消費)が抑制されたことで、住宅バブルが破たんした後は、膨大な債務だけが残ったことで、彼らの考え方は誤りだったということだろう。

    <続く>

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新自由主義経済から自由主義経済への回帰は、経済危機からぼくらを救えるか?<上>「メルトダウン 金融溶解:トーマス・ウッズ著、副島隆彦訳」を読んで

 近頃なにかと反米的な著作を精力的に出版している副島隆彦氏が、その根拠として信頼している、オーストリア学派という自由主義を掲げる経済学者のひとりである、トーマス・ウッズ著、副島隆彦訳の「メルトダウン 金融溶解」(成甲書房)を本屋で気になるところをななめ読みした。

 著書によると、オーストリア学派と呼ばれるのはハンガリー=オーストリア帝国の名残りで、その帝国で研究していた経済学者たちのことを指す。

 彼らの理論の根底にあるのは最初の本格的経済理論である「アダム・スミス」の「国富論」だ。市場は資本に基づき自由な競争を促すべきで、政府の介入は最小限に限るべきだという。

 市場原理主義に基づく小さな政府を目指すという点では、今日まで進められてきた新自由主義と呼ばれる経済学と変わらない。

 ・・・

 しかし、ウッズは米国が200?年になって、FRB?による金とドル通貨の交換を保障しない取り決めを決めたことで、FRBが全ドルの価値以上のドル紙幣を発行することを可能にし、実行したため、現物の総価値以上のドル紙幣が流通し、各国がドル紙幣を買い支える政策を続けない限り、インフレーションが起こる危機的状況がいまだに続いているという。

 また、企業倒産件数が少ない前提で25年先まで保障していた貸し倒れ保障(CDS:クレジット・デフォルト・スワッピング)が、サブプライムローンの崩壊をきっかけにした企業倒産の連鎖で、相次いで支払い不能に陥り、多額のCDSを抱えるAIGなどに米国政府から公的資金を投入したことや、会計方式を株式や債券の時価会計から取得時価格(簿価会計)へ変更し、価値の水増しによる資産価値の目減りをごまかして企業破たんを防ぐ方策をとったが、依然として、多くの企業が実質的に多額の負債を抱えている状況に変わりはないという。

 貨幣の価値の裏づけをなくしたことや、ありえない前提での未来までの信用リスクを保障した証券・債券取引を可能したことが、新自由主義の欠陥であったと指摘している。

 この点において、市場原理主義そのものを否定したわけではなく、市場取引の裏づけとなる価値以上の取引を可能としたことを問題視しているといえよう。

   < 続く >

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