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最期の曲集にインテルメッツォが多用された理由を尋ねて -ブラームス最晩年の4つのピアノ曲集

さんじゅうごさいがろくじゅうすぎでかいたきょくをひく

 「ブラームス」(1833-1897)が64才で死去する5年前から3年前の1892年から94年((59才~61才)にかけて作曲した4つのピアノ小品集には多数の「インテルメッツォ」(間奏曲)の楽章が含まれる。

① 幻想曲集・作品116(1892年作)
  カプリッチョ(奇想曲)二単調
  インテルメッツォイ短調
  カプリッチョト単調
  インテルメッツォホ長調
  インテルメッツォホ短調
  インテルメッツォホ長調
  カプリッチョ二短調

② 3つの間奏曲(インテルメッツォ)・作品117(1892年作)
  インテルメッツォ 変ホ長調 No1
  インテルメッツォ 変ロ短調 No2
  インテルメッツォ 嬰ハ単調 No3

③ 6つの小品・作品118(1893-94年作)
  インテルメッツォ イ短調
  インテルメッツォ イ長調
  バラード ト短調
  インテルメッツォ ヘ短調
  ロマンス ヘ長調
  インテルメッツォ 変ホ短調

④ 4つの小品・作品119(1893-94年作)
  インテルメッツォ ロ短調
  インテルメッツォ ホ短調
  インテルメッツォ ハ長調
  ラプソディー 変ホ長調

 単なる幕あいの間奏曲にすぎないインテルメッツォを、ブラームスはなぜ、最後の時期のピアノ曲に好んで用いたのか、とりわけ年を取れば取るほど頻繁に取り上げたのか、むしょうに気になり、昨日から熱心に調べていたら少々疲れてしまた。

 ・・・

 ブラームスは、ピアニストとなり稼ぎながら作曲家を目指したが、ベートーヴェン(1770-1827)の多くの作曲を学び、彼はベートーヴェンを乗り越えられないと考えるや、18才のとき(1851)に、それまで書いてきた作品を価値がないものと思い込み、廃棄してしまおうとしたほど自分に厳しかった。

 20才のとき、ハンガリーのヴァイオリニスト・エドゥアルト・レメーニと演奏旅行に行ったときに、 J. ヨアヒム、フランツ・リストとロベルト・シューマンに会って作品を見てもらった。とりわけ、シューマンは、「新しい道」と題する評論を「新音楽時報」誌に発表してブラームスを熱烈に賞賛し、聴衆にブラームスの作品を広めてくれたため、一度やめかけた作曲に再び臨むことができた。

 しかし、その2年後に恩人のシューマンは精神障害から自殺
するという悲しみにみまわれる。

 作曲を再開したとはいえ、ベートーヴェンの壁はなかなか乗り越えられず、最初の交響曲を書き上げるまで19年もかかり、できたのは43才のとき(1876)だった。

 ベートーヴェンの影響で弦楽四重奏曲も3曲しか書くことができず、シューマンにならってピアノやクラリネット、ホルンと弦楽器を組み合わせた室内楽曲や弦楽器の数を増やして弦楽五重奏曲や弦楽六重奏曲を作曲し、新たなジャンルで自分の地位を築こうとした。
 
 しかし、作曲を再開してから、16年後の57才(1890)のとき、意欲の衰えを感じ、作曲を断念しようと決心して遺書を書いた。

 そんなブラームスであったが、クラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトの演奏に触発され、三たび作曲を決意し、クラリネット三重奏曲(作品番号114)、クラリネット五重奏曲(作品番号115、1891年)、2つのクラリネット・ソナタ (ヴィオラ・ソナタ)(作品番号120、1894年)を書いた。

 晩年に書いた4つのピアノ作品集もこの時期にあたる。

 ・・・

 これらは1892年から1893年にかけて4つの曲集として出版されたが、作品119を献呈したクララ・シューマンに1893年5月付け宛ての書簡の中で、ブラームスは次のように書いた。

 あなたがきっと喜んでくださると思い、あなたのためにピアノの小品を書こうとしていました。不協和音で渦巻いている曲です!……この小品はとても憂鬱で、「きわめてゆっくり演奏すること」というのは、決して控えめな表現ではありません。すべての小節、すべての音符がリタルダンドのように聞こえ、すべての音から憂鬱が吸い込まれるかのように、そして不協和音から官能的な悦びがおこるかのように聞こえなければなりません。

 『とても憂鬱で、「きわめてゆっくり演奏すること」というのは、決して控えめな表現ではなく、すべての音から憂鬱が吸い込まれるかのように』、という記述からは、この最後のピアノ曲集がとても暗く、じめっと表現されるのをあえて望んでいる。

 だが、実際に曲を聴いてみると一曲の中身はまったりと静かに演奏されるだけでなく、始まりや終わりはかなり強く弾かれているし、曲想も暗く沈みこんだと思ったら、次には明るくややはつらつになったりと、かなりバラエティに富んでいる。

 どこか手紙で書いていることと、曲の中身が一致していない感じなのだ。

 ・・・

 また、ブラームスはもともと曲の名前を考えるのが苦手だったとも言われる。「8つの小品」作品76(1871,8)や幻想曲集・作品116では、インテルメッツォの曲の合い間に頻繁にカプリッチョの曲が現われているが、作品118,9ではカプリッチョすら消えて、インテルメッツォの曲名ばかりになる。

 「カプリッチョ」とは「自由、きまぐれに」という意味だそうだが、「幻想曲集」・作品116の各曲が、作品118,9の各曲と比べるとむしろ崩してないように感じられるので、「カプリッチョ」という曲名もなんだか怪しく感じてくる。

 そう考えると、ブラームスは、シューマンのピアノ作品のような性格的小品にぴたっと当てはめる名前が見つからなくて、とりあえず「カプリッチョ」と「インテルメッツォ」をそういう曲につけてみたあげく、最後には区別に自信がなくて「インテルメッツォ」で代表させることにしたのではないか、と思えてくる。

 そんなふうに考えると、しかめつらして、あごひげをたくわえて威厳を保つ風貌のブラームスが、実は最後になるにつれてしだいに適当になっていったような気がして、なんだかおかしいのだ。

※参照 ウイキペディア

Brahms: Rhapsodies/IntermezzosBrahms: Rhapsodies/Intermezzos
(2008/09/08)
Yorck Kronenberg

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   Yorck Kronenberg - Brahms: 3 Intermezzos, Piano Pieces, Op. 118 and 119 & 2 Rhapsodies








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テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

シルバーウイークの二日目、2、3年前に知り合った人に再会し、近況とともに隣町のホームレスとか生活保護行政の様子が聞けた

 なんだか世間に取り残されたようで寂しく感じたシルバーウイーク二日目の日曜日、世間の行楽気分とは全く無縁で、いつものようにDVDレンタルショップによって、駅前のスーパーのベンチで、ひさしぶりにうさ晴らしで500mlの梅チューハイを飲みながら、朝に読み忘れた日経の朝刊を読んでいたら、根本さん(仮名)に声をかけられた。

 根本さんとは2、3年ほど前に別のスーパーのベンチで出会って、しばしば夕方から夜にかけて長い時間話をした。隣町に住む根本さんは、塗装工の期間社員をしていて、工場内に充満する有機溶剤のせいで、仕事外でも頭がぼんやりしていると不調を訴えながら我慢して働いていた。

 ぼくも、開発職から工場での有機溶剤を使用する工場で、三勤三休・12時間2交代の転籍前提の出向の勤務をしていて夜勤に順応できないうえ、アルコールが充満する中で、なかばもうろうとしながら働いたあげく、出社拒否症状が出て会社に行けなくなった経験があったので、根本さんには少なからず共感した。

 ぼくの場合は産業医が機械で使用する汚れた有機溶剤の液交換の際にガスマスクの着用を指示したが、根本さんの工場では、アルコール分を吸着しない簡単なマスクだったそうだ。ぼくは大企業の大きめの子会社で働いたので、しっかりとしたガスマスクを与えられていたが、根本さんが働く工場にはそういうものはなく、劣悪な職場にもかかわらず、しっかりとした労働者の労働環境が施されていなかった。

 ・・・

 根本さんは中学を卒業したものの、読み書きや計算といった基本的に生活にかかせない知識が不十分だった。ぼくと会ったとき、根本さんは厚生年金の受給ための申請用紙を受け取り、申請したかったが、申請用紙の漢字が読めなく、申請用紙にどう書いていいかわからなかった。有機溶剤で頭がはっきりしないせいか覚えも悪く、しばしば助言したことを手帳に書くよう言われた。

 根本さんにはお兄さんがいたが、困ったことにお兄さんが相談にのってくれるような人ではなく頼れなかったことだ。それで、ぼくはできる範囲で書き方などを助言した。根本さんは大喜びで、ぼくと何度も会ったが、年金の申請がうまく終わったようで、その後は姿をみなかった。

 ・・・

 それから、2、3年過ぎた日曜日、根本さんはこざっぱりした清潔な服装で明るく声をかけてきた。当時まだ同じ職場で働くと言っていた根本さんだが、今では退職してなんとか年金で暮らしていると言った。

 30%引きの110円の値札がついたいなりずしのパックを持ちながら、前と違って気楽に話す根本さんにぼくは聞いた。

 「ここまで来なくても、もっと大きいスーパーが近くにあるのでは?」

 そう聞くと、大きなスーパーはなんだかそうぞうしくて落ち着かないのでここまで来るという。パンやらカットサラダやらの見切り品が夕方にはすっかりなくなっていると言うと、根本さんは「惣菜品の見切り品も?」と、聞いてきた。

 それで、惣菜品の見切り品は今頃出るけど、すっかり安くなくなった、と答えた。根本さんもぼくも普段買うものはなるべく見切り品と決めている点では一致している。

 ・・・

 根本さんはこの街の公園はホームレスがいないからいいという。隣街では、ホームレスが昼真っから公園で酒を飲んでいて危険だという。

 酒を飲んでいるから少しは年金をもらっているのか、と聞くと低年金者にねだっては分けてもらっているそうだ。しかし、食べるものに困ると万引きをやらかすから、あまり近づきたくないという。
 
 「生活保護には入らないの?」と聞くと、隣町では、生活保護の担当者は以前にまじめに働かなかったひとは生保を受けられなかったり、運、不運もあるという。

 この街より家賃が安い市営住宅も充実していて、生保の基準も1等地でこの街より1ランク高く福祉がいいと評判の街でも役所は最悪の弱者には冷たい。でも公園にいれば、なにかしらのものをくれる人がいるだけ、ぼくの住んでいる街より暖かみがある気はする。

 ・・・

 「この値段の割引はどうやって計算するの?」

 また、例のごとく根本さんはぼくに聞いてきた。
 
 「110円の10%は11円だから3倍して33円だよ」、と言ったが根本さんはわからない。「手帳を取ってくるからここに書いてよ」と、いなりずしのパックに貼ってあるラベルを指差した。

 時計は夜の9時を指していた。さすがに、これより遅く母のところに晩飯に行くと怒ると思って、その日はそこで別れることにした。

 根本さんのように読み書きや簡単な計算ができない60代のひとは結構いる。まだ20年以上も生きることになりそうだし、初老の方のための無料の基礎教育講座をこの街でも考えてみた方がいいのではないだろか。









テーマ:できることから - ジャンル:福祉・ボランティア

シルヴァーウイークだし、九ヶ月買い控えていたCDBOXを買いにいつも行くCD屋に行ったら、敬老の日用に母用に買った安CDに店員がいきなはからいをして感動してしまた

きゅうかげつもおみせにとりのこされたの

 岩城宏之指揮OEKの「ベトヴェン全集」(廃盤)-ぼく垂涎(すいえん)のCD BOX

「チャン! チャン! チャ~ラ~ラ~ラ~ラララ・ラ~♪...」

 今朝は昼っぱらからアンプのボリュームを9時にあげて、「ベトヴェン」のエロイカ(交響曲第三番変ホ長調)を、いつもの寝起きよりだいぶ大きくかけた。

 昨日、数ヶ月ぶりに行った吉祥寺の中古屋で思い切って購入した、岩城宏之指揮オーケストラ・アンサンブル・金沢の演奏を浜離宮朝日ホールで1994年から5年にかけてライヴ録音した「ベートーヴェン交響曲全曲集ライブ」(COMPLETE SYMPHONIES LIVE)発売元:朝日新聞のBOXセットをさっそく聴くためだ。

 昨年の12月に同店で見つけて以来九ヶ月、店内で試聴させてもらって気に入ったものの7千円台の高値で手が出ず、4千円程度に割引になるまでじっと購入を控えていたBOXセットだ。

 一昨日、お店のメールで、店内の一部の古い店頭在庫が2、3割引きになると知って、翌日電話をかけて問い合わせたら、5,300円程度に値段が下がると聞き、ダブりで持っていたBOXセットを最低でも2千円程度で買取してくれるようなので、購入を決意した。

 秋の初めの珍しい5連休だいうのに、あいも変わらずDVDを観ることぐらいしかしていなかったので、街のピザ・レストランでリラックスしながら楽しむカップルやファミレスでにぎやかに食事をしている親子や友人どおしを観るにつけ、何かぼくも連休の間に思い切って少しはめを外すことにした。

 ・・・

 あいにく、連休に入ってから特に調子が悪く、散歩をするにも力が入らないような日々が続いて、昨日も外に出て歩き始めたら足に力がはいらないわ、腰が痛いわで、吉祥寺にたどり着くまでに引き返すはめになるんじゃないかと思いながら出かけた。

 駅に着くと、くたびれる前に中古屋の店頭在庫をひととおり観てしまおうと、まっしぐらに中古屋に向かった。

 店内に着くと、湯ざましの水の入ったペットボトルを残して荷物を店員にいつものように預けると、いつものように目を皿にして集中しながら棚や床に置かれたCDを観た。

 店内には、ご年配の方や子どもづれ、ご婦人の方など、常時10人程度のひとが入れ替わり立ち代り店内に入り普段の休日よりにぎわっていた。

 空いていると、観ている棚から横の棚へとスムーズに観ることができるが、ほうぼうに人がいたので、他のお客さんが観ている棚を避けて空いている棚を探して観たせいか、パズルをしているようでどの棚を既に見おわったかこんがらがってしまた。
 
 ・・・

 5~700円(税抜き)の古いCDが多々あるが、これと目をつけたCDは高い。1300~1600円するものもあり、英国の通販で買うより高いので、ちょっと手が出ない。つうか予算に余裕がない。廃盤になった日本語訳付きのオペラなどは、数千円も定価にプレミアムをつけているものもある。その中で購入を予定していたナクソスの比較的新しい中古の5、600円のCDと2000円弱のブラームスの古い6枚組みのピアノ全集(マーティン・ジョーンズ、ニンバス盤)を買い物かごに入れた。

 ・・・

 BOXのぎっしりつまった棚を観ていたら、とりおきしてもらった岩城宏之のCDBOXを見つけて驚いた。

 なんでここにあるの?

 ぼくはすぐさま店員に確認すると、実は同じBOXの在庫がふたつあることがわかった。念のため、中身を見せてもらうと、とりおきしてもらったCDと違って、カビの跡がなく、CDに傷もなく、CDケースのすり傷も少なく、見た目も新らしめだった。

 「どうしてあるって言わなかったの?」と、驚きのあまり店員にちょっとつっかかってしまった。店員も気がつかなったという。とりおきしてもらったBOXも、見つけたBOXも同じ値段の値札がついていたが、とりおき品は2割引きだったので、ふたつとも預かってもらって、どちらを買うか少し考えることにした。

 ・・・

 その後も棚を観てたらASVのホワイトライン・シリーズ(正確に言うと、サンクチュアリー・レーベルのホワイトライン・シリーズ)の「ブリティッシュ・ライト・ミュージックの宝」と題した5枚組みの英国軽音楽集の再発のまとめBOXを見つけた。なんと800円! これは安い。

 しかし、ぼくは単品で全部持っているので買う必要がない。しばらく考えていたら、昨日は敬老の日だったことに気付いた。

 母にプレゼントしよう。いつも同じCDばかり聴いてるし...
 
 そう思い立ってこのBOXを買い物かごに入れた。

 ・・・

 ひととおり見おわった後、会計しようと思って、買取の査定を聞くと3千円つけてくれて思わず感激。予想より千円高く買い取ってくれたので、きれいな方のBOXセットを思い切って購入することにした。他のCDといっしょに会計する最中に店員に、

 「これ単品で持ってるんだけど、かあちゃんにあげることにしたんだ。敬老の日だし...」

 と言ったら、店員が、

 「いいですねぇ」

 と、ひとこと言うと、ヒビの入ったケースを新品に変えてくれて、CDを入れる新しいビニールに入れた上、プレゼント用の黒いひもで結んだ赤いビニール袋に入れてくれた。

 800円のCDなのに...

 店員のいきなはからいに、感謝の気持ちがこみあげてきて、思わず、「ありがとう」と言ってしまった。

 ・・・

 昨日は「遅く帰るから夕飯は自分で食べるよ」と、母に言って出かけたのだが、この素敵なプレゼントを早く渡したくなって、残りの用もそのままにして、すぐに電車に乗って帰った。








テーマ:CD・LP購入録 - ジャンル:音楽

春ごろ無理を言ってリクエストした「伊福部昭の芸術」全7巻が街の図書館のCD新着棚に並んでいた

らくがいちばん

 昨日、DVDを返却するついでに、途中の図書館で週刊誌を読もうと立ち寄った際、新着CDのラックにズラッとCDが並んでいたのを見て、覗いてみたら、33枚のEMIの定番クラシックシリーズの隣に、春ごろ無理を言って所蔵をお願いした「伊福部昭の芸術」シリーズ全7巻が並んでいてうれしかった。

 伊福部昭(いふくべ・あきら)は特撮映画ゴジラシリーズの音楽を手がけたことで有名な作曲家で、民俗的なメロディーと、とりわけ日本的な踊りの際に用いられる独特な太鼓のリズムを用いた耳になじみやすい作風で、他の日本の現代作曲家とは一線を画するのが特徴だ。

 このシリーズは中古市場でも人気が高く、千円台後半の値段でもほとんど売れてしまう根強い人気を保っていた。

 伊福部昭本人は2008年2月8日に91歳で多臓器不全により天寿をまっとうし、多くのコアなファンに惜しまれブログでも話題になっていたのを覚えている。日本の現代音楽の作曲家としては、世界的に有名な武満徹をも凌ぐ人気かもしれない。

 残念ながらこの街の図書館には、ゴジラシリーズの音楽を編曲した「SF交響ファンタジー」のCD一枚しかなかったので、春にまとめて購入を決めたのを機に、廃盤になってしまう前に図書館に所蔵をお願いした次第である。

 ・・・

 ぼくはといえば、購入した7枚のうち、まだ3枚しか聴いていないので全貌はわからないが、彼の作風はゴジラシリーズの映画に流れる音楽を思い出させながら、日本の民族音楽がその根底にあることを自覚させる点が多々あり、そういう意味で「ブラームス」の「ハンガリー舞曲集」や「ドヴォルザーク」の「スラブ舞曲集」の日本版ともいえる面白さがある。

 せっかく図書館に所蔵してもらったので、ぜひこの街の図書館に足を運んでもらって聴いて役立ってもらいたいと思っている。
 
 羽村市、瑞穂町、福生市、青梅市、あきる野市、桧原村、日の出町、奥多摩町民は図書カードを作ることができるので貸し出しやブースの席で聴くことが可能。

 それ以外の方は、2台あるCDプレーヤーで立ち聞きすることは可能だ。

 ・・・

 CDやDVD・ビデオのリクエストは受け付けていないが、黙っていると、既に所蔵してある曲とだぶるEMIの定番クラシックシリーズを50枚まとめて買うような学芸員しかいないので、今後も粘り強く面白いCDの購入リクエストをしていきたい。クラシックのみでなく、所蔵が少ないサントラやカントリー、ケルティック・ミュージックは特に所蔵が必要だと思っている。


羽村市図書館 042-554-2280
http://www.lib.city.hamura.tokyo.jp/top.html
貸し出し状況の検索もできます。

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テーマ:図書館 - ジャンル:学校・教育

人事院勧告:2010年度一般職国家公務員給与、平均でわずか2・4%減、基準となる民間給与平均に偽装調査の疑いも

 8月30日の衆議院選挙で政権交代が確実視されていた直前の25日、

 (著者注:麻生内閣の)政府は25日の給与関係閣僚会議と閣議で、一般職国家公務員の月給と期末・勤勉手当ボーナス)を引き下げるとした2009年度人事院勧告(人勧)の完全実施を決めた。日経(8/25夕刊1面

 年間給与ベースで見た減額幅は平均で15万4000円(2・4%)。民間企菜の給与実態の悪化を受け、とりわけボーナスは年間で0・35ヵ月分と過去最大の削減となった(同記事)という。

 国家公務員の給与水準は、人事院が民間企業の実態を調査し官民格差を埋める形で決め(同記事)られている。

 今年の調査で公務員の平均月給は民間を863円上回ったため、0.22%引き下げる。月給の引き下げは4年ぶり。地方公務員らの給与水準も基本的には人勧に沿って決まる。(同記事)という。

 民間では大企業のボーナスの2、3割減、ワーキングシェアで平均月給も大幅減、中小企業では雇用調整助成金を事業主が受けて、仕事もないのに雇っている数は六百万人もいるというのに、一般職国家公務員の平均給与はわずか0.22%下がるだけ、月額にしても1万2千8百円にすぎない。しかも、この一般職国家公務員の給与水準の減額幅が地方公務員にも適用されるのだ。

 さらに、
残業代の割増賃金率の引き上げを国家公務員にも適用する勧告も完全実施する。月に60時間を超える分の残業代について、割増率を25%から50%に広げる。(同記事)という。

 民間では給与を抑えるために、残業が大幅に減っているが、毎年、業務量が大差ない公務員が、月に60時間を越えた時間の残業代は民間並みに2倍になる。60時間以上残業すれば給与は減るどころか増えるのだ。税の減収が見込まれるなか、公務員の仕事量が変わらなくても、国民・県民・市民の税金はさらに公務員の給与に注ぎ込まれるという公務員の焼け太りまで盛り込まれているという、なんともやりきれない話なのだ。


 11日の人勧から、2週間の短期間で完全実施を決めたのは異例。30日投開票の衆院選を前に政府・与党が公務員の人件費削減の実績を訴える狙いがありそうだ(同記事)というが、民間に比べて、こんなわずかな削減の実績で、国民・県民・市民が納得すると考えていたとしたら、自公政権はそもそも苦戦の選挙戦の最中でも民意をバカにしていたのか。自公政権が公務員の特権給与の保全に協力して、公務員の指示票をかきあつめたかったというのが本当のところではないか。

 選挙後の政府は特別国会か秋の臨時国会に給与関連法案を提出し、成立を目指す民主党も「人勧制度は尊重されるべきだ」(直嶋正行政調会長)としている。(同記事)と、あきれたことに霞ヶ関解体とか官僚と対決するとか声高に叫んでいる民主党の政調会長(16日に廃止し、政策決定を政府に一元化する)までお墨付きを与えていたのだ。これでは自民党政権のときと同じだ。民主党は国民・県民・市民の暮らしを修復することより、公務員の給与の維持の方に税金を回すことのほうが大切なのか?

 人事院の「偽装」民間給与調査で民間給与平均年収が大幅にかさ上げされていた!

 週刊ダイヤモンド(9/19号)の「公務員の給与引き上げを図る人事院調査のカラクリ」によると、人事院によるイカサマの調査によって、一般職国家公務員の給与が官民格差に沿って決められているように偽装されていることがわかる。

 国税庁の民間給与実態統計調査により、1997年と2007年を比較すると、民間の平均年収は460万円台後半から430万円台後半に、約30万円減少している。

 しかし、人事院の調査では、民間平均年収が430万円台なかばから460万円台へ25万2千円も増加しているのだ。それによって、公務員の平均年収も460万円台に近い27万6千円も増加している。

 民間平均給与の額が国税庁の調査による結果に対し、人事院による調査の結果が大きく上回っているのだ!

 ・・・

 なぜこんなに違うのか?

 長年給与について研究している北見昌朗氏は記事のなかで、まず
人事院は「企業規模五〇人以上かつ事業所規模五〇人以上」を民間給与の調査対象としているが、総務省のデータによれば労働者全体の62%が従業員50人未満の事業所で働いているので、実に中小企業の6割が調査対象から外れてしまうという

 しかも、非正規社員を対象にしていないし、公務員の業務に類似するとして「事務および技術」の職種しか対象になっていない。いわば「ホワイトカラー」は全職種の4割なので、労働者の6割が調査対象から外れてしまうという。(注:非正規のホワイトカラーも調査対象から外れてしまうから、もっと外れる調査対象は多い)

 そこで非正規社員を全体の3割と少なく見積もった場合で、人事院の調査対象となる労働者は、

  50人以上の事業所で働く労働者の割合(4割) 
× 「ホワイトカラー」の労働者の割合(4割)
× 正規労働者の割合(7割)

となり、

 人事院の調査対象となる労働者の割合

 = 0.4 × 0.4 × 0.7
 =0.112

 となって、約1割の労働者だけしか含まず、しかも規模の小さい事業所で働く労働者や賃金の低い非正規労働者を調査対象から外すという極めて公務員に有利な条件で調査されている。

 1997年の時点で、国税庁の調査と人事院の調査に大差がなかったのは、当時は2007年より小規模事業所の事務系の賃金が高かったのと、事務系の正社員の割合が多かったためとも思える。


 北見氏は「人事院の職員は国家公務員なのだから、自分たちにとって都合の悪いことをするわけがない。みずからの給与引き上げを正当化するための、いわば偽装調査だ」と糾弾した

 これに対し人事院は「06年に調査対象を見直し、小規模の事業所含めるなど適正化努めている。民間準拠とは、同じような職責に準拠するとの意味で、民間すべてとの比較ではないから、国税庁の調査とは一致していない」と答えた。

 同じような職責の民間労働者の中で、中小企業の労働者が公務員並の給与をもらっていないことは確かだ。 









テーマ:公務員制度改革 - ジャンル:政治・経済

羽村市の小中一貫校説明会で、既に実施している足立区の興本翁学園の教師のはなしを聞いて、あまりのひどさで恐くなてしまた

 先週の金曜日、羽村市の小・中学校教員の有志からなる羽村市小中一貫校対策会が主催した「羽村市の小中一貫校どうなるの?」と題した説明会を聞きに武蔵野小学校近くの三矢会館に行った。

 武蔵野小学校と羽村一中の教師一名ずつの挨拶で始まり、羽村市教育委員会の担当者が教育委員会の小中一貫校検討の流れを説明した後、若干の質疑応答があり、既に小中一貫校・興本翁学園を平成18年から実施している足立区から同校で教師をしている教師が同校の始まりから現状を説明し、最後に、武蔵野小学校の教師が締めくくりの言葉を述べて終わった。

 ・・・

 教育委員会の話によると、(当初22年度から実施を予定していた)武蔵野小と羽村三中の小中一貫校の実施計画は、7月22日に市民を対象に生涯学習センターゆとろぎで説明会を実施し、その際に意見が出た学区については教育長が学区審議会を設けて話し合うとし、今後、素案を作成した後、今年9月中旬から(素案に対する?)意見をホームページで募り(締め切りについてはわからないと言っていた)、基本計画を作成し、教育委員会定例会(著者注:毎月一度実施)で審議し実施を決め、予算に関しては市議会(著者注:新政会など(自民党系)が多数を占める)で承認をとって実施する。これらによって実施時期は23年度の予定(一年先延ばし)になる。

 また、この計画は羽村市内全部の公立小中学校に対象を拡大した。

 ・・・

 足立区の小中一貫校・興本翁学園の教師の話は、ざっくり言えば、小中一貫校は小学生が中学生に進学した後の不登校(中一ギャップ)を減らす目的で始めたが、小学5、6年生が中学生といっしょになるあたりから、学級崩壊が始まり、小学5、6年生や中学生は教師の言うことをますます聞かなくなった(荒れた)といい、中学生になるとかえって不登校が増えるという当初の趣旨に合わなくなったというものである。

 特に小学5、6年生においては、学級担任制から中学校の教科担任制に変わることで、授業のエスケープを学級担任が把握できなくなど、制度上の欠陥や、小中一体化に伴う小中教師間での意思の疎通不足を補う会議の増加により生徒指導の時間の不足が生徒の荒れを抑えられなくなっているといった、制度上の欠陥を補うために教師のマンパワーが割かれ、生徒指導がおろそかになるというような小中一貫校システムが現場の能力を無視して制度設計されていたという根本的な誤りを露呈したものだった。

 しかし、このような現場の実態を校長や副校長、管理職の教師も現在でもひた隠しにしてきた結果、校長、副校長とも移動が激しくなり、現場の教師は、3年の任期を終え半数が去ってしまい、現在は残った半数の教師と他から熱意を持ってやってきた教師が、学校崩壊の中でなんとか現場を維持させようという日々戦いで疲れきっているという説明だった。

 ・・・

 教育委員会のはなしと足立区の教師のはなしを単純に結びつけると、羽村市の公立小中学校が小中一貫校になった後、不登校が増えるばかりでなく全ての学校が荒れて、学級崩壊ならぬ学校崩壊に突き進み、羽村市内の経済的余力を持った親は市外の私立小中学校に子どもを通わせざるをえなくなり、貧しい家庭は崩壊した学校に子どもを預けるしかないことが予想される。

 また、接している武蔵野小と羽村三中の間に2億円かけて渡しを作るという計画を聞きつけた住民の方が、「機会均等といいながら、他の隣接していない学校にも渡しをつけるのか」、と憤っている様子を観ながら、結局、建設業者を潤わすための小中一貫校なのか、とかんぐったりもした。

 そんな極端なことを考えていたら、とてもゆううつな気分になり、今日まで、しばらく何も書けなくなってしまっていた。羽村市で、計画が進む前に、足立区の興本翁学園は校内を完全開校にして、小中一貫校の実態を世間に明らかにしてもらいたいと願っている。









テーマ:教育問題について考える - ジャンル:学校・教育

「新自由主義経済から自由主義経済への回帰は、経済危機からぼくらを救えるか?<下>「メルトダウン 金融溶解:トーマス・ウッズ著、副島隆彦訳」を読んで

  < 前から読む >

 多くの市場経済に関する理論で共通して見られる傾向は、「需要(消費)」や「供給(生産)」を、数値化したり、それらを関連づけて結論を得るが、「消費」や「生産」はあくまで数値であり、それを行う者が人間であることを考えていないように思える。

 すなわち、例えば、食料の「生産」が極端に少なくなって、人間の「消費」を賄いきれなくなれば、人間は死んでしまうから、そのあとで、人間が「生産」できる量は大幅に減少する。

 しかし、経済学者は人間を死ぬことがない数値としか捉えないから、その後で、極端に減少した生産量や消費量が分かるまで、全く当てはまらない以前と同じ「生産」と「消費」の関係を用いて、市場の予測をすることになる。当然、これでは人間が死んでしまった直後の市場を予測できない。

 また、例えば、子どもや引退した高齢者や障害者は生産をしないが「消費」はする。予測した生産量が過大な要求であったとき、労働者が酷使されてあげく負傷して、予定どおり生産できなくなることもある。

 オーストリア学派の経済学にしても、これら「生産」をしないひとは数値上「0」としかみなさないし、人間の労働能力に個人差があるにもかかわらず、ひとりあたりの生産量が同じに見積もって生産を実行すれば、無理な目標を与えられた労働者は目標を達成できないばかりか負傷して、今までの生産能力も大きく損なうことになる。
 
 つまり、経済理論では、生産や消費を人間でなく単純に数値として考えてしまうが、その数値はあくまで人間に関係するから、その理論が人間の限界を超えてしまう場合には成立しないのだ。人間本位の持続可能な経済理論でなければならない。

 ・・・

 ニューズウイーク日本版(9/9)号の読者投稿欄(P.76)では、そんな資本(自由)主義経済の限界について、「国富論」でアダム・スミスが言及し、社会がそれを助けるべきだと述べていると、言っている。

 この記事のように資本主義について読者を啓蒙する意図で書かれているにもかかわらず、真の「資本主義宣言」であるアダム・スミスの「国富論」にまるで触れていない文章に出合うと、私は驚きを禁じ得ない。スミスは個人による利益の追求と、行き過ぎた強欲をはっきり区別していた。強欲は資本主義にとって脅威であり、資本家たち自身から最も大きな危険は生まれると考えていた。

 彼はこう説いている。富と相関関係にあるのは個人ではなく社会であって、社会は一定の環境を維持するために資金(累進課税による税金)を必要としている。そして教育や公共施設はその重要性から、自由市場に任せることはできないのだと。

 だがアメリカやイギリスで目にする資本主義関連の記述の多くは、スミスの考えと懸け離れている。強欲は善であり、税や規制は資本主義を損なうもので、自由市場がすべてを解決すると説いている。Steven Telleen(カリフォルニア州)


 ・・・

 市場原理主義も強欲になり過ぎて、社会を破壊し、それを成り立たせる基盤を危うくしてしまった。今、やるべきは政府や民間、個人が投資して、社会資本の整備や損なわれてきた労働環境、教育、医療、年金などを復活させ、公共施設の有効利用を図り、社会が傷んだ個人を守ることだ。

 そして、行き過ぎないような市場ルールを決め、健全に修正された市場原理主義に基づく自由市場を再び確立し活用することだと思う。

   < 完 >

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後記:

 ウッズの本をななめ読みした後、たまたまニューズウイーク日本版の読者欄を読んで、はたとひらめいてから、これを書いてみたいと思ったのは、国会議員選挙の選挙期間中だた。

 最初は一気に書き下ろそうと意気込んでいたものの、長い時間考えることができない状態が続いて、実現できないでいた。

 そんな日々、少しずつ分けて書いたらできるかも、と思いつき、なんとか書き下ろすことができた。

 3日間つきあってくれた読者に感謝します。
メルトダウン 金融溶解メルトダウン 金融溶解
(2009/07/31)
トーマス・ウッズ

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テーマ:経済批評 - ジャンル:政治・経済

「新自由主義経済から自由主義経済への回帰は、経済危機からぼくらを救えるか?<中>「「メルトダウン 金融溶解:トーマス・ウッズ著、副島隆彦訳」を読んで

  < 前から読む >

 オーストリア学派と呼ばれる自由主義経済を信奉する経済学者たちが、新自由主義を唱える経済学者と基本的に異なる考え方は、なにか。

 それは、新自由主義者たちが「消費」による経済成長を重んじるのに対し、オーストリア学派たちは「生産」こそが経済成長の礎(いしずえ)と主張する点だ。

 ・・・

 「メルトダウン 金融溶解」(成甲書房)の中で、トーマス・ウッズは例をあげ、農民は彼らが消費する以上の作物を多く生産すれば、その作物で靴屋から靴を手に入れることができるし、農具を手に入れてより多くの作物を生産することができる。そうすれば暮らしはより豊かになるし、作物の生産性は向上する。

 つまり、農民は消費する以上に生産し、余った作物からより生産性を向上する道具を手に入れるので、更に生産量を増やすことができる。

 しかし、兵士は消費するだけで何も生産しないから、生産を費やすことしかできない。

 この例から、「生産を消費するだけ」では経済の成長は望めないとし、生産物から得られた糧をを「生産性を向上するための消費」に費やすことが重要と説いた。「消費」よりも「生産」を重視する点が新自由主義の思想と決定的に異なる。

 ・・・

 また、ウッズによれば、「生産」は「消費」のニーズによって行われるから無駄になることがないという。生産者は何が売れているか調べるし、どんなものを作ったらが売れそうか考える。

 ある生産者は時として売れないものを作って失敗してしまうことがあるが、総じて生産者は売れるものしか作らないはずだという。

 しかし、そのような市場に政府が介入して意図的に消費させようとした米国の住宅取得促進政策によって、市場の「生産」の考え方が大きく狂ってしまったという。

 ・・・

 米国の住宅バブルは、政府の介入による住宅取得促進政策によって、過剰な住宅の生産を促し、建設に必要な資材の高騰による住宅価格の高騰を招き、さらに、住宅の高騰を当てにした住宅取得による更なる住宅価格の高騰となり、「生産」によって得られたお金が無駄に「消費」されたという。

 この時期、米国の生産は住宅建設に集中し、他の分野での「生産」や「生産性向上」にまわらなかったという。

 つまり、生産物によって得られたカネが、政府の介入によって住宅に必要以上に消費され、その期間の間「生産のための消費」が止まってしまったことが問題だったという。

 ・・・

 結果とした言えることは、新自由主義者の考えに基づいて、政府の介入によって、一定の間、住宅に消費を喚起することに成功したが、住宅価格の高騰を招き、他の消費(特に生産のための消費)が抑制されたことで、住宅バブルが破たんした後は、膨大な債務だけが残ったことで、彼らの考え方は誤りだったということだろう。

    <続く>

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(2009/07/31)
トーマス・ウッズ

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新自由主義経済から自由主義経済への回帰は、経済危機からぼくらを救えるか?<上>「メルトダウン 金融溶解:トーマス・ウッズ著、副島隆彦訳」を読んで

 近頃なにかと反米的な著作を精力的に出版している副島隆彦氏が、その根拠として信頼している、オーストリア学派という自由主義を掲げる経済学者のひとりである、トーマス・ウッズ著、副島隆彦訳の「メルトダウン 金融溶解」(成甲書房)を本屋で気になるところをななめ読みした。

 著書によると、オーストリア学派と呼ばれるのはハンガリー=オーストリア帝国の名残りで、その帝国で研究していた経済学者たちのことを指す。

 彼らの理論の根底にあるのは最初の本格的経済理論である「アダム・スミス」の「国富論」だ。市場は資本に基づき自由な競争を促すべきで、政府の介入は最小限に限るべきだという。

 市場原理主義に基づく小さな政府を目指すという点では、今日まで進められてきた新自由主義と呼ばれる経済学と変わらない。

 ・・・

 しかし、ウッズは米国が200?年になって、FRB?による金とドル通貨の交換を保障しない取り決めを決めたことで、FRBが全ドルの価値以上のドル紙幣を発行することを可能にし、実行したため、現物の総価値以上のドル紙幣が流通し、各国がドル紙幣を買い支える政策を続けない限り、インフレーションが起こる危機的状況がいまだに続いているという。

 また、企業倒産件数が少ない前提で25年先まで保障していた貸し倒れ保障(CDS:クレジット・デフォルト・スワッピング)が、サブプライムローンの崩壊をきっかけにした企業倒産の連鎖で、相次いで支払い不能に陥り、多額のCDSを抱えるAIGなどに米国政府から公的資金を投入したことや、会計方式を株式や債券の時価会計から取得時価格(簿価会計)へ変更し、価値の水増しによる資産価値の目減りをごまかして企業破たんを防ぐ方策をとったが、依然として、多くの企業が実質的に多額の負債を抱えている状況に変わりはないという。

 貨幣の価値の裏づけをなくしたことや、ありえない前提での未来までの信用リスクを保障した証券・債券取引を可能したことが、新自由主義の欠陥であったと指摘している。

 この点において、市場原理主義そのものを否定したわけではなく、市場取引の裏づけとなる価値以上の取引を可能としたことを問題視しているといえよう。

   < 続く >

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(2009/07/31)
トーマス・ウッズ

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新譜のCDが5枚着たばかりだというのに、ピアノ中毒で生産中止のスクリャービンのピアノ独奏曲全集を注文してしまた

 8月下旬にU.Kのサイトで注文したCDの入った小包が、今日、郵便ポストに入ってた。

 「ハイドン」の「ヴァイオリンとヴィオラのソナタ集」(アクサン盤)と、「ボディヌス」(Bodinus)の「2台のオーボエと通奏低音のための6つのトリオ」(GENUIN盤)、「18世紀のドイツのリュート音楽・第三集」(シンフォーニア盤)の新譜3枚。

 さっそく、夕飯のときに母宅でハイドンのCDを聴いたら、古楽器かどうかは微妙だがまったりとした演奏で、聴きながらしろたんといっしょにぐったりとしてしまた。

 ぼくはバロック・オーボエ好きなので、「ボディヌス」のCDをとても期待していたのだが、ちょっとセカセカして、まったりできなかた。聴き込んでいけば慣れるかなぁ...

 ・・・

 ここのところ涼しくなてきたので、リュートのCDは買うのがちょっと遅すぎた気がする。最近、シンフォーニアのCDは、折りたたみの薄い紙ケースになてたけど、このCDは普通のプラケースに戻っててちょっと意外。

 この夏はなぜかクラシック・ギターのCDをほとんど聴かず、ピアノのCDばかり聴いてた。シューベルト、ベトヴェン、メンデルスゾーン、ハイドン・・・、珍しくメジャーな作曲家を繰り返し、なにかしながら聴いた。ただ、聴いた音楽は頭にあまり残っていない。

 ・・・
 
 スクリャービンのピアノ独奏曲全集(カプリッチョ盤)がタワレコから再発になるというので、さっそく注文したのだけど、生産中止で先週、キャンセルの知らせがメールできた。スクリャービンのピアノ独奏曲は前奏曲(ハイペリオン盤)がものすごく美しく綺麗だったので、ピアノソナタ(カリオペ盤)を聴いたら聴くにたえなかった。それで、上手に演奏していそうな全集BOXを見つけた後、欲しくてたまらない。

 結局、以前ナクソスで録音されたという聴きやすそうなベトヴェンのピアノソナタの格安再発BOX(約23ユーロ)といっしょに、ドイツのサイトで注文してしまた。

 昨日、「イザベル・ファウスト」の「ベートヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全集」と「ハイドン:ピアノソナタ集(Fp)」が国内の通販サイトから届いたばかりで、新着の未聴のCDが5枚もあるというのに、ピアノ曲を聴きたくてしょうがない。病気だ。

 ・・・

 この秋はピアノ曲はもとより、室内楽のCDとかでも聴きたい未入手のCDがまだまだいぱいある。一度に手にいれてしまうと、後で買えなくなって音楽の飢餓状態になるので、一週間に2~3枚、4千円程度内で購入して、繰り返し聴きこみたい。









テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

来年2010年秋頃からモデル実施!?、羽村市の小中一貫教育校との中身は何か!羽村市教育委員会の住民説明会が9月11日(金)19時~21時に開かれる

どうなるの

 昨日、駅前でティッシュ配りをしていたのでもらってみると、今年になって羽村民報(2009年6月28日号)http://www.jcphamura.org/minpou06.htmで突然知った羽村市の小中一貫校(武蔵野小学校と羽村三中)に関する教育委員会の説明会のちらしだった。

 教育長の角野征大は、この羽村民報の報道に対して、「教育委員会の姿勢を示したものではない」、「9月18日の教育委員会で決定」は誤りであると回答をし、羽村民報での訂正を求めてきたという。(羽村民報(2009年7月19日号)。

よみにくい

 羽村民報(2009年6月28日号)では、鈴木たくや議員が武蔵野小学校の運動会(5/31)の会場でシール投票を行った結果、大多数の保護者から十分な説明と合意をしてから進めるべきとの結果も写真付きで公表されていた。

 学区で割り振られた公立小中学校で、親の理解も得られぬまま水面下で進められていたとしたら、教育長の角野征大が住民の意見も聞かずに王様のように公権を振りかざして、住民の不利益も無視していることになる。

 近頃、なにかと地方分権と声高に叫ぶ政治家が多いが、この街では地方分権=特定の権力者の横暴を許す、という構図になっているのが現実だ。

 ・・・

 駅の階段下で集まっている方に、聞いたら、ちらしを配っていたのは、都教組・アイム89に加入している現役の教師の方々だった。とにかく説明会に来てください、と何度も言われた。

 ちらしの中身によると、ゆくゆくは羽村市のすべての公立小中学校を小中一貫教育校にするという大きな話なので、行って話しを聞いたほうがいいのかな、とも思う。

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羽村地区三者協(都教組・東京教組・アイム89)主催
「羽村市の小中一貫教育校どうなるの?」

日時:2009年9月11日(金)19時~21時
会場:三ッ矢会館 2階和室

第1部 「羽村市の小中一貫教育の取組の現状について」
                羽村市教育委員会
第2部  「足立区の小中一貫校の現状」
                足立区の教員
第3部  懇談会

 羽村市は、来年2010年秋頃から、武蔵野小学校と羽村三中を「隣接型小中一貫教育校」として、モデル実施しようとしています。そして、2011年4月には、正式に開校する予定です。
 さらに、2012年4月には、「分離型小中一貫教育校(武蔵野小・三中以外の全ての学校)」を開校する計画です。ところが現段階において

・学区は? ・小学生も中学生と一緒に郎活動?
・PTA組織は? ・制服は? ・授業時間は50分?

等の詳しい説明がなく、不安や疑問の声が多く上がっています。

 まだまだ小中一貫教育校の細かな内容がわからない今、これらの疑問点について保護者、地域の皆さんと共に考え、意見を交流したいと思います。
 是非、多くの皆さんの参加をお待ちしております。








テーマ:地方自治 - ジャンル:政治・経済

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