ウーツー(CDレビューア)

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実力主義にこだわり、気に入らないぼくをことあるごとに利用してバカにした教師から得たもの

 このところ連日、朝日新聞の1面に「いじめられている君に」と題して特集が組まれている。
テレビによく出る芸能人や評論家が日代わりで書いているのだが、なかなか説得力がある。記事を読み、どうして人はいじめられた話しになると、こうもリアルに書けるのだろうと感心しながら、ぼくも子供のころ自分の受けたいじめについて書いてみたくなった。

 ・・・

 中学2年のとき、入部していた運動部の顧問の教師がクラス担任でもあった。当時のぼくはテストもよくでき、授業中よく手をあげて答える活発な生徒で、部活も熱心に参加する方だったから、担任の受けもよかった。

 雲ゆきが怪しくなったのは3年生になってから。部活の顧問だった通称"インキン"が、他のクラスの担任になったころ、インキンの思うようにぼくがうまくならないのが気に食わなかったのか、ぼくをバカにし始めた。

 中学2年のとき部活の顧問がインキンに変わってから、部活はうまい順にグループ分けされ、うまいグループほどいい環境で練習できるように差をつけられるようになり、競争するように促がされたが、へたな部員はうまい部員と練習できなくなったので、かえってうまい部員とへたな部員の差が開いていった。ぼくは上から2番目のグループにいたが、上のグループの部員と練習ができなかったせいか上達が止まってしまい、上のグループの部員との実力の差が、ますます、引きはなされてしまっていた。

 当時、同じ部活で同じクラスだった落合(仮名)の父親は、インキンが顧問となってからコーチとして休日になると部活の練習に顔を出していたが、ある日、ぼくのことが気に食わなかったのか、ぼくの練習のようすを観ながらインキンに向かって「フォームがロボットのようだ」と言った。

 すると、インキンは落合の父といっしょになって、「ロボット」「ロボット」と連呼し、笑いながらバカにし始めた。おかげで、その後、数日間、部員のみんなから"ロボット"とからかわれていやな思いをした。ぼくより上のグループにいつもいた落合の父親であるコーチから指導を受けた想い出は、後にも先にもその気憶しかない。

 ・・・

 部活が面白くないと授業の取り組みにも影響してくるもので、そのころから授業中に、前や隣の席の生徒と悪ふざけをして騒ぎ、まわりに迷惑をかけるようになっていき、教師に注意されるようになっていった。

 そんなある日、部活の練習中に、インキンが女子と試合をするようぼくに命じた。当時、男女は別々の顧問で練習も全く交流がなかったにもかかわらず、いきなり練習もなく試合である。

 "強い相手と試合させるつもりなら、上のグループの連中もいるのに、なんでよりによってぼくが女子の相手をさせられなければならないのだ"

 当時は運動部の男子が女の相手をさせられるのは屈辱でしかない雰囲気があった。しかし顧問の教師の命令を拒めるわけもなく、やる気のおきない試合をさせられたあげく、負けてみじめな気持ちに突き落された。勝った相手の女子をよくやったと笑顔で褒め、上機嫌だったインキンの顔が今でも忘れられない。

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 部活のグループは、定期的に総当たりの入れ替え戦をして、勝敗数の順でグループ替えをするようになっていた。その入れ替え戦で、ある日、一番強かった部員と試合をしていたときのことである。

 ぼくが大幅なリードをしていたときに、相手が劣勢の気分を入れかえようと、タイムを取ってくつひもを結び直していた。そのときインキンが相手のそばに近づいて、「どうした。調子が悪いじゃないか」と言った。

 すると、相手はインキンに「腹が減って力がでない。」といいわけするように答えた。

 ぼくをコケにするようなもの言いで腹が立ったが、インキンはそいつの言うことが当然だとばかりに笑っていたのが悔しかった。

 ・・・

 当時のことを今振り返って考えてみると、インキンは部活で他の子の自信をつけさせようとしてぼくを利用したのだと思う。インキンにとっては、利用されたぼくがどんなに傷つこうがどうでもよかったのだ。いやむしろ、ぼくが傷つくところが観たかったのかもしれない。自分が部活の顧問という上の立場であることをいいことに、コーチである落合の父親といっしょに、おとな2人がかりでぼくをバカにしたり、女子と試合させて辱めたりして面白がっていたのだ。

 しかし、そんな陰湿なインキンの指導法が災いしたか、前の顧問のときに県大会まで進んだ部活も、インキンが顧問のときには県の中部大会までしか進めなかった。

 ・・・
 
 ぼくはといえば、上達もせず、顧問にバカにされる部活に急速に興味を失って、インキンや、インキンといっしょになってぼくをバカにする部員を見返えそうと、市内で一番の進学校に進もうと受験勉強に励んだ。

 すべり止めの高専に落ち、私立は希望する理数科でなく普通科への転科での合格という散々な受験となったが、崖っぷちに追い込まれた後で、本命の公立校に受かって校長にも喜こんでもらえた。受かったとき、インキンは声もかけてくれなかったが...

 ・・・

 そのころのぼくは部活の興味はほとんどなくなっていた。

 高校に入学した頃、中学のころレギュラーでもなかったぼくに、他校のレギュラーだった子から部活を続けるかどうか聞かれたが、さんざいやな思いをした部活を続ける気はさらさらなく、別の運動部にためらいなく入部した。

 もっとも部活を続けなからといっても、そのスボーツを会くやらなくなったというわけではない。ぼくを部活嫌いにしたインキンや落合の父と違って、ぼくには上達させる才能があるらしく、下手な人に教えると重宝がられる。

 今思うに、あの2人はぼくにとっては、こうあってはならないという"反面教師の象徴"として胸に深く刻まれ、ことあるごとに教訓として生き続けてきているのだと思う。

 


 
 
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